2019年11月14日

西郷南洲の戦いとは何だったのか(3/4)



《3》
 副島隆彦氏は、「日本ではポピュリズムを大衆迎合主義と言うが、それは間違いである」と言ってきた。彼によると、ポピュリズムの定義とは 
 「ポピュリズム populism とは、アメリカの中西部で、ときとして、突如、民衆の中から湧き起こる政治不信のことである。アメリカの中産階級の真面目で保守的な白人階層が、ワシントンの中央政府に対して、強い不信の念にかられて、激しく抗議しようとする政治的な動きのことである。」
 (『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(下)』)

 これが正しいのだと思う。日本のマスゴミや御用学者はわざと間違えて民衆を騙しているのであろう。
 であれば、広い意味でいえば西郷ら薩摩人の西南戦争も、「中央政府に対して、強い不信の念にかられて、激しく抗議しようとする政治的な動き」であろう。
 鳩山や菅直人、それに多くの民主党員は、自分たちが政権交代を国民から託された理由が、この副島氏が言うところの、自公政権への民衆の激しい不信の念や、抗議であったことを忘れ、知らんフリしてユダヤ=アメリカの下僕であることを前面的に出してきた。

 それに待ったをかけようとしたのが、先の民主党代表選における小沢一郎氏であったのではないか。それゆえ、多くの目覚めた層にとっては、小沢氏が西郷南洲に二重写しになったのではなかったか。

 岩手県知事・達増拓也氏が語っていることを「阿修羅掲示板」で見つけた。
         *        *        *
 達増拓也:民主党代表選で巻き起こった「オザワ現象」
 http://www.asyura2.com/10/senkyo96/msg/464.html
 今回の民主党代表選で、多くの国民が、小沢一郎氏の演説や討論の姿を直接あるいはテレビやインターネット(以下「ネット」)で見聞きし、少なからず驚き、考えさせられた。その結果、小沢支持がかつてないほど拡大・深化すると共に、マスコミ情報を鵜呑みにしないで、自分で見聞きし自分で考え自分で判断する態度が、国民に広がった。これを私は「オザワ現象」と呼んでいる。
 (中略)
 小沢・菅両氏の共同記者会見生中継で、全国に衝撃が走った。二人の力量の差が、一目瞭然だったのである。ツイッターにも、「小沢一郎氏の圧勝だった。正直、ここまで政治家としての資質に差があるとは思わなかった。」「菅さんはネチネチと個人攻撃するけど小沢さんはやらない。まさか品性の差が記者会見でここまではっきりするとは思わなかった。」といったツイートがあふれた。

 その後、討論会や街頭演説などを重ねるにつれ、小沢・菅両氏の差に、驚き、考えさせられる国民が増えていった。ツイッターで小沢氏を検索すると肯定的意見がたくさん寄せられているのに対し、菅氏を検索するとコメントがほとんどないのも驚きだった。小沢対菅の戦いではなく、ネット対マスコミ、市民対マスコミの戦いだ、という指摘もあった。
        *        *        *
 達増知事が言うような「 ネット対マスコミ 」のなかのネット側に与する人間ならば、小沢氏が西郷隆盛のイメージと重なって、このような「オザワ現象」が起きたのではないかという私の感想にも賛同していただけるのではないだろうか。

 だから先だっての民主党代表選は、「西南戦争」の再来だったのである。菅・仙石・前原グループは、大久保・岩倉グループ(明治政府)なのであり、西郷と薩軍が小沢氏と彼を支持したネットの声なのだ。
 これまでの小沢氏がどうあれ、今回の代表選における小沢氏なら国民のために立ち上がった、と言ってよかったと思う。実際、代表選における小沢氏の演説は、まさに「拙者儀、今般政府へ尋問の廉(かど)有之(これあり)」と言っているように聞こえた。そして西郷と同じように、敗北した。
 
 ふたたび江藤淳のエッセイ集『南洲随想』に戻ろう。江藤はこう続ける。
*        *        *
 明治6年、大久保が米欧をめぐって帰ってきて、これからは殖産興業、富国強兵でやると言った時、西郷は「大久保さあ、それは違う」と言って、鹿児島に帰ってしまった。
 その後、萩の乱、佐賀の乱など士族の反乱が起こりますが、何と言っても一番大きいのは西南戦争です。(中略) そして、やっと西南戦争が終わった。
 だが、日本国家は、その時、国家の近代化方針に対する、西郷の死を賭した「否」という声を聞いたことになります。
*        *        *

 西郷らが「否」と言った中身はなんだったろう。それはまだ日本人が答えを見つけていない「何か」なのだろう。でもとにかく「それは違う」なのである。
 小沢氏を支持したネットの人たちも、小沢氏の掲げた政策に賛同はしていても、究極的にはとにかくこれまでの自公政権や菅政権に対して「それは違う」だったのではないか。

 私は、その「何か」とは、端的には「ユダヤ支配」ではない、日本には日本にふさわしい政治、社会であろうと思う。
 江藤淳は『南洲随想』で続けてこう説く。
        *         *          *
 西郷の頭には戦死しかなかった。それについて、言葉で説明しようともしなかった。しかし、言葉で説明しようとしなかった西郷のメッセージは、「明治維新をこんなふうにやっていったら、日本はダメになる。日本は既に間違えている。だから、自分は兵を挙げたのだ」ということだったのではないでしょうか。
        *         *          *

 江藤淳は何も言わずに、わざと拙劣に戦ってみせたかのようにして戦死を選んだ西郷南洲の思いを忖度している。
 西郷は「これが日本人の価値観であると納得できる政治体制でなければならない」と考えたろう。
 また、「蒸気機関車を持ってきて鉄道を敷いてガラガラ回せば日本が近代国家になるというのは虚飾に過ぎない。日本が『外」に合わせていくだけでいいのか」という気持もあったろうし。

 「立国の根本とは、国民の気概、国民のプライドだと言いたかった」ろうし、「ペコペコするな、猿まねをするな」であったろうと、述べている。

 最近起きた尖閣諸島での中国漁船事件でも、あわれ日本の政府は。国家の気概もプライドもなく、支那にもアメリカにも「ペコペコ」している。政府高官どもは、政府専用機を使って偉そうに海外へ出かけ、毎晩酒席を繰り広げている、白人の猿まねばかり。
 西郷をはじめ、反乱を起こした士族らが心配したとおりの国に、140年たって成り腐った。

 続ける。
*        *         *
 ところで、問題は、じゃあ、そこで西郷みたいな人がいるかというと、1人もいない、というところである。
 皮肉な話で、開国当時、日本は、清国の属国だかどうかさだかでない、眇たる一島国だった。それが、現在は、世界最大の債権国で、少なくとも千二百兆円の個人金融資産がある。けれど、西郷さんが、「これがなかったら、国は成り立たないよ」といったものを、反西郷の大久保利通も日清、日露を経験した明治の人も、大正、昭和、戦前、戦後の復興に従事した人たちも、少しずつはみんなの心の通帳の中に貯金して持っていたものが、それが全部、なくなってしまった。西郷死して以来、百二十年かかって。

 精神的な貯金、国民の気概、国、国民は一体何を求めて生きるのか――という根本的な問いを発することを忘れて久しい。
 経済は悪いが、国民はみんな小金持になり、全部寄せると千兆以上の資産がある。だが、精神はゼロ以下になった。これが国なのか、という根本問題に直面している。
*        *         *

 江藤淳が平成10年に嘆いた日本は、さらに転落している。
 深刻な人材不足どころか、今はなんと無能をさらけ出してもなお首相にとどまる菅や仙石らの天下なのだ。いくらか目覚めている人たちが、せめて小沢氏にいくばくかの、最後の夢を託したいと思うのも、むべなるかなではないか。


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2010-10-13(06:14) :
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可能性はあると信じます

まだ3/4ですが、思わず筆を執ります。先生、出来る方向へ進みませんか。見回せば精神性0の世界と仰いますが、西郷南洲や当時の情報量とその正確性は現在のほうが圧倒的に上。不思議なことに政治家の育成が弱いだけで、官僚は優秀、最近危ないですが言論統制は未だ甘く、善意の警官もいます。ネット愛好家も勉強しています。急務は、まっとうな言論リーダーの連携または現状に相応しい松下村塾の存在ではないでしょうか。松下政経塾は誤りでした。副島は○○だ、奴は××だ、きゃつは△△だなどと、たとえ事実であってもお互い少し控え、大同小異につく統合が必要ではないでしょうか。現状、小澤氏の経験とリーダーシップがカリスマであれば、現状分析と進行方向の設定、意見の集約、各集団への徹底、上位層のまとめ、政治活動への反映、下層における周知及び草の根活動など、適材はあるはず。我々のような不勉強なものにはやはり小澤氏を支え後に続く優秀な人材の集団が必要です。もはや行動に移るべき時ではないでしょうか。大和魂も武士道精神も燃え尽きてはいないし、平成の白洲次郎は結構いらっしゃいます。何卒、巨大西郷南洲ロボットを動かす集団の統率をよろしくお願いいたします。
2010-10-13(21:03) :
岩崎 智徳 URL :
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Unknown

日々更新ご苦労様です。

「徳に励む者には、財は求めなくても生じる。 したがって、世の人が損と呼ぶものは損ではなく、得と呼ぶものは得ではない。 
古の成人は、民を恵み与える事を得と見て、民から取る事を損と見た。 
今はまるで反対だ。」

西郷南洲の言葉は重いですね。

西郷がなぜいまだに日本人に愛され続けているのか、今の政治家は考えてみるべきですね。


2010-10-13(21:25) :
makomakomako URL :
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西郷の永久革命

明治維新は革命などではなく、国体をユダヤに売り渡し形ばかりの近代化ごっこだったのではないでしょうか。鹿鳴館以来日本人の西洋にひざまづく姿勢は、小泉竹中、菅まで一貫しており情ないです。しかし西郷の永久革命の遺伝子は一部の日本人にはひそかに受け継がれており、小沢氏にその片鱗が見られるため、ネット住民たちに支持されたと思います。孫文ではありませんが、「革命未だならず」
2010-10-13(21:59) :
満 URL :
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Unknown

ラスト・サムライはハリウッドの映画でしたが、近年稀に見る良い映画でした。
勝元という武士が西郷のモデルだろうと思われ、日本の近代化に否という、メッセージを残して死んで行きました。

2010-10-13(22:20) :
佐藤 URL :
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2019年11月13日

西郷南洲の戦いとは何だったのか(2/4)



《2》
 江藤淳のエッセイ『南洲随想』から教えられたことをしたためている。
 『南洲随想』というからには、西郷隆盛のこと、ないしは西南戦争のことをテーマに語っている。江藤淳がものした『西郷残影』の補遺のようになっている。

 『南洲随想』からいくつか本文の引用をしながら、進めていきたい。
 西郷と大久保利通は維新をともに戦って、幕藩体制を倒した。やがて対立するようになる。端的には大久保は欧米に追いつくために日本を欧米化しようとする。これははっきしりしているけれど、西郷の立場はどういったら良いのか……日本には日本の政治体制があるべきなのではないかと主張したのだと江藤淳は言う。

 表面的には、征韓論で対立したかに伝えられるが、本質はそんなことではなく、根本的な日本百年の大計を巡っての対立であったろう。その対立を、後ろで糸を引いたのがユダヤに使嗾された長州であったろうが、江藤淳はそこまでは言っていない。

 陸軍大将・西郷隆盛が薩摩私学校の生徒に担がれて西南の役を起こして、東京へ向かって出立したとき、最初に熊本城の官軍に手紙を送って、薩摩軍を黙って通せと要求している。
 その手紙(西郷直筆ではないとする説もあるそうだが)にこうある。
 「拙者儀、今般政府へ尋問の廉(かど)有之(これあり)」と。
 
 しかし、何を政府に尋問しようとしていたのか、西郷は何も語らずに戦死する。
 江藤淳は問う。「彼は何を尋問したかったのか」と。

 「(政府は)それを言葉にされたら大変だというので、5万人の全軍(当時の日本全部の軍隊を鹿児島に集めた)を傾注して、躍起になって薩軍討伐に当る。つまり、政府の側にも『何か間違っている』という感覚があったに違いない。
 では、何を日本人は間違えたのか。」

 つまり、江藤淳は西郷の下野も、挙兵も、征韓論なんかのせいではないと言っている。
日本の進むべき道を巡って、大久保や伊藤博文らは欧米化で行く方針を決め、西郷はそれは間違いだと言って対立したということである。
 官許歴史(学校教科書)が、(ウソなのに)西郷の下野を征韓論のせいにしたがっているというのは、つまり隠された本当の理由があるのだ。

 よく、大久保や岩倉ら明治政府の要職に就いた者たちは、欧米を見てまわって世界の文明・文化を理解したのに、日本で留守を預かった西郷は井の中の蛙で、世界を知らなかった遅れた旧時代の人間だった、みたいな言われ方をする向きもあるが、事実はそうではなかった。

 「そこで、西郷に従った人々の経歴を調べると、薩摩隼人で、西洋のことは何も知らないような田夫野人ばかりかと思うと、これがとんでもない間違いです」と江藤淳は続ける。
 例えば、西郷に最期まで従って戦死した村田新八は、岩倉遣外使節団に加わって欧米を見てきた男だが、抜群の秀才で、大久保が使節団に連れていった将来を嘱望された者のなかで、最も期待した人物だった。
 それが大久保に同調しないで、薩摩に帰ってしまう。「村田新八が去ったとき、大久保は茫然と天を仰いで言葉を発さなかった」という。

 ほかにも国際派、英米派といわれるような俊才がこぞって西郷に従って、「政府へ尋問の廉(かど)有之(これあり)」と言って、負けるとわかっている戦争に参加することになる。

 「この事実をどう考えたらいいのか。(中略)つまり、日本人は、日本人の身に合った政治体制を持たねばならない。しかも、その政治体制は当然、近代の国際社会に国を立てるに適した政治体制であり、これが日本人の生き方、これが日本人の価値観であると納得できる政治体制でなければならない」
 と、江藤淳は書く。

 こうした状況が、西南戦争の背景にあった。すなわち、西郷とそれに付き従った「天下人(びと)」たちは、大久保利通の近代化路線に対して激しく対立し、死を覚悟の抗議行動に出たのか、である。
 官許歴史は、この事実を書かない。ということは、本当の西南戦争の理由が国民に知れると具合が悪いからである。

 官許歴史は、日本がかろうじて欧米の植民地化を逃れ、明治末にはついに幕末に締結された不平等条約が撤廃され、関税自主権も回復されたと教える。日清、日露の戦争にも勝って、国は強大に、豊かになった。
 それは欧米に追いつくという国家をあげての大事業が達成された時代だったことを教えるとともに、われわれがそれを誇りに思うように、誘導されてきた。

 明治はたしかに「富国強兵」では大成功の時代だったと言ってもいいのかもしれないが、西郷たちは激しく「否定」したのである。それはなぜだったのか。
 そして私たちが、官許歴史(教科書の歴史、メディアが示す歴史)を払いのけて考え直してみると、その後の日本の歴史は、大東亜戦争で国家が滅亡へと追い込まれる過程であり、戦後はアメリカの属国となって(ほとんど植民地)、国の主体性を奪われてきた歴史であることが、わかってくる。

 視点を変えれば、本当はユダヤの手先となった官僚が支配する国家になってきた過程が、近代であった。

 それを思う時、私たちはどうしても西郷南洲の戦いとは何だったのか、に行き着く。西郷は、明治以降の日本の歴史、すなわち欧米化といいながら実は日本という国柄が喪失していき、欧米の植民地にされていった歴史となっていくことを、予感していたのではないか。
 江藤淳は書かないけれど、私は日本の近代史(明治以降)とは、ユダヤ勢力に徐々に侵攻されていって、「日本」を無くされて行く過程ではなかったかと思っている。

 西郷南洲と薩摩の俊才らは、大久保や岩倉らがユダヤの回し者となって帰国したことを鋭く見抜いたのではなかろうか。ユダヤとははっきり認識しないまでも、大久保や長州閥の背後にある恐ろしいものを感じ取ったのではないだろうか。
 むろん薩長同盟から倒幕へのキッカケそのものが、ユダヤ勢力による指示で、明治維新前から明治新政府の中核となる人物たちは、ユダヤの手先であった。

 坂本龍馬らは維新前に、西郷らは維新直後に、ユダヤ勢力から「もう不要」とか「裏切り者」として葬られた可能性があるけれど、彼ら個人にはもう江戸幕府では日本はもたない、政権交代しなければ日本は潰れるとの認識があったかもしれない。
 しかし大久保や岩倉ら欧米視察団としてユダヤ勢力に招かれて世界一周をしてきた連中こそが、ユダヤの本当の手先であり、ユダヤの日本支配を貫徹させるための手駒だった。

 西郷ら西南戦争で蹶起した者たちは、維新を成し遂げた志を大久保.岩倉らが裏切って、なにもかも欧米の利益になるように、ユダヤ世界制覇に資するようにと日本を変えて行く事に対して、「尋問の儀 これあり」となったのではないかと、私は思う。

 江藤淳は、「ユダヤ」のカケラも発言しない。だからどこか奥歯にもののはさまった言い方で西南戦争を語る。

 昨日挙げた例でいうなら、自民党から民主党になっても、首相とその周辺のゴミどもは打ち合わせや慰労と称して税金で毎夜毎夜のグルメ三昧である。あれは鹿鳴館の舞踏会を毎夜開いた維新政府のバカどもの伝統を受け継いでいる。
 しかし、西郷は違った。二宮尊徳のような精神性を把持した人間である。

 西郷が休日なので浴衣を洗って干していたら、政府から急な呼び出しがあって、来いと言ってきた。浴衣は一着しかなく、それを洗っちゃって今日は裸でいるから、裸じゃ行けない、ダメだと返事をしたとか。

 東京で西郷隆盛と弟の従道が下宿していた。兄・隆盛は朝飯を食って先に“国会”に出向いた。弟の従道があとから起きてきて、朝飯を食おうとしたら、みそ汁に具がなにも入っていない。で、女中を咎めると、お兄さんは黙ってそれを召し上がっていらっしゃいましたと答えた、とか。

 こういうエピソードがいくつも西郷南洲には残っている。こうした話は半ば作り話だとしても、庶民に口コミで広がった。だから西郷は尊敬され、神のように拝まれる。
 こういう西郷の把持したような精神性で、日本人は政治をやってほしいと思っているのである。
 だから、未だに西南戦争の「主犯」だった西郷を、反逆者だの悪い奴だのと思っている日本人はいない。
 
 鳩山由紀夫は間抜けで、自宅の宏壮な邸宅や別荘に派閥の党員を招いて、ワイン・パーティをやったり、夫人と行きつけの豪華レストランをテレビに紹介したりした。金があるんだからいいじゃないかと彼は思っただろうが、それが支持率を落とした原因であることを、そして普天間問題でいくら鳩山が苦しんでも庶民が許してくれなかった原因であることを、最後まで彼は理解しなかった。


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2010-10-12(06:57) :
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2019年11月12日

西郷南洲の戦いとは何だったのか(1/4)



《1》
 過日、ブログで「江藤淳の闇」(2010.9.18〜20)を書くために、少し手持ちの江藤淳の著作をパラパラとめくって見た。
 そのなかの江藤淳のエッセイのなかに、目を瞠る文言があって、昔読んですっかり忘れていたが、今となって江藤の着眼の確かさに感心した。
 紹介したい言説はいくつかあるが、まずは以下の文章から。

       *        *        *
 例えば5年間、国家財政の費目から地方交付税交付金を外したらどうか。そのかわり、ナショナル・ミニマムともいうべき教育、警察、消防、それに誰もが納得する範囲の福祉――この4項目は、国家予算から直接に各自治体に支給する。あとは、富裕なところは富裕な自治体なりに、貧乏なところは貧乏なりにやりくりし、用もないのに豪壮な町役場を建ててみたり、わずか300人しか学童のいない小学校にエレベーターをつけたり、などという馬鹿さ加減をやめる。

 つまり、日本人の生活はたかだかこれくらいだぞということを骨身に沁みて実感する必要がある。

 もう一つ思い切ったことを言うと、知事の公選もやめたらいいと思う。実に金がかかって、弊害が大きい。民主主義国が知事を公選しなければならないことは、決してない。
 フランスの知事は官選知事です。それに国会議員も衆議院は300人でいい。それにつれて参議院議員もかつての貴族院勅撰議員のような、各界有識者の議員に改組する。
 その上で1府12省庁というのなら話はわかる。 (『南洲随想』1998年「今想え、西郷南洲「立国の気概」より 文芸春秋社)
       *        *        *

 江藤淳が説く「 日本人の生活はたかだかこれくらいだぞということを骨身に沁みて実感する必要がある」は至言である。
 だから現状に甘んじろという意味ではないし、より豊かな暮らしは諦めろ、でもない。
 しかし、日本人は戦後の経済成長であきらかに増長した。またはマスゴミに煽られてカネの使いかたを狂わせた。身の丈を知ることがなくなった。

 戦前も、たいした国力もないのに軍事大国に走り、英米と戦争をして支那の奥地やら太平洋の遥か彼方にまで戦線を広げた。戦艦大和・武蔵などは技術の粋を集めたかもしれないが、身分不相応な贅沢でもあった。
 その贅沢病が、戦争に負けてもなお改まらない。

 江藤淳が言うように、なんで国会議員がこんなに多数いるのかとか、公務員がやたらに仕事を作って国民の4人に1人が公務員(家族も含めて)となっているのかとか、彼らが「福祉」や住民サービスの美名を隠れ蓑に、どれほどの贅沢をやるようになったか。もう死んでいるのも同然のボケ老人を、保険料を注ぎこみ、若者が寄ってたかって介護しているのも、贅沢の極みである。できるからやっていいものではないのだ、介護なんかは。

 たとえば最貧国といわれるバングラデッシュには、我々から見ればろくな福祉も、介護もないであろう。だから貧乏は嫌だとか、老人も大切にと思うまではいいが、日本を介護天国にまでしていいのか。
 実際、老人どもはもっと快適に寝たきりにさせろとか、リハビリをやるんだから若い人が手伝うのは当たり前じゃないかとか、毎日ゲートボールをやりたいから会場を作れとか、増上慢な態度。
 バングラデッシュは介護も福祉もないから、自力で生きる努力は日本人よりしているのではなかろうか?
 
 それに連日のようにマスゴミは、介護施設が足りないとか、介護職の給与が低いとか、要するに介護保険では足りないんだからもっと税金で補填しろ、そういう議論を進めろのキャンペーンをしきりに張る。
 それは一見、人道的で優しいであろうが、そんなことをやるから際限なく日本人は「身の丈を知る」を忘れて、とにかくもっと楽をさせろの大合唱になっている。
 浅ましいったらないではないか。潔さもない。

 エコカー減税・補助金なども贅沢すぎないか? カネがなければ車を買うなよ。

 たしかに、新聞テレビで紹介されている、「老老介護」や寝たきり老人の話は胸が痛む。なんとかしたいと思うのは人情であろうが、それを度外れに善だとしていいのか。
 もう日本は資産をアメリカに奪われつづけて、素寒貧になっている。
 毎年毎年、巨大な借金までして介護介護に夢中になって国がもつのか、である。

 姥捨て山は悲しい歴史であるが、昔は貧しくてそうしなければ、若いものまでが餓死するから、涙をのんで「捨てた」。現在、日本はそういう貧しい国へ一直線で、実際北海道の夕張市は、大変な事態になった。全国で市立病院が次々に閉鎖に追い込まれている。
 これはもう国がもたないという危険信号じゃないか。

 癌の検診なども要らざるお節介で、贅沢である。
 私の親の所にも、役所から「高齢者インフルエンザ予防接種のお知らせ」が届いた、どうする? と親に尋ねても、私がふだん教育しているものだから、親は中身も開けずにゴミ箱に放り込んでいた。親は自分が臨終で意識がなくなったら、スパゲッティ症候群にはするなよと、つねづね言っている。

 イカサマの予防接種も贅沢である。役人をはりつけて住民サービスは税金、案内の郵送料も税金、予防接種の自己負担も免除ならそれも税金。どこからそんな「充実した福祉」をするためのカネが湧いてくるんだ? 全部後世の子孫にツケをまわす借金じゃないか。
 
 こんな例を挙げればきりがない。
 例年のことながら、菅内閣は景気対策として新たに補正予算を組んでカネを市中に流すというが、それでいくらか景気が刺激されるとしても、それは国民にもっと贅沢をしろ、節約はするな、耐えることは罪悪だと教えるばかりではないのか。
 まあ節約したって、どうせカネはアメリカにむしり取られると分かれば、あるうちに使ってしまえとなるのかもしれないが。
 
 景気浮揚も大事ながら、江藤淳が「 日本人の生活はたかだかこれくらいだぞということを骨身に沁みて実感する必要がある」と説いたことも、為政者は国民に説かねばならない。
 なのに、あの国会議員のブタどもの日常はどうだ? 首相とその周辺の連中は毎晩、毎晩、会合、会食、慰労会と称して豪華グルメ三昧。鳩山前首相も、目立ちたがり屋の夫人を伴って、連日連夜の有名料理店での外食。それをメディアに自慢げに(?)報道させた。カンカラ菅も同じ。
 もうどこにも上杉鷹山や二宮尊徳の精神はない。

 みずから質素倹約を実践して国民に範を垂れるべき為政者が、国民の疲弊を尻目に連夜の宴会、酒席とは。仕事柄、そういう宴席もやむを得ないかもしれないが、その費用は税金であろうに。たいした額じゃないにしても、これは言ってみれば支那の王朝が酒池肉林のバカをやって国を傾けたのと同じである。モラルの問題だ。

 江藤淳が、知事公選をやめたらどうかと言っていた。そのとおりだ。全国で贅沢にも4年に1回、盛大に選挙をやっているが「実に金がかかって、弊害が大きい」。
 フランスの知事は官選知事だそうだが、要するに中央で政権を取った党が、知事も総取りするのだ。そのほうが、政権の方針がスムースに地方にも貫徹されていいのではないか。
 ただし官僚出身者と二世は知事になる資格なし。

 ことの善し悪しは別にして(政府が全部正しいわけではないが)、沖縄県知事が普天間移設問題で政府方針に反対すれば、結局何も進展せずに、ただ時間が浪費され、役人や業者らが仕事もしないで会議だけで食っていたりすることにしかならない。全然統括ができないではないか。地方自治体の知事がダムはいらないといい、中央はダムを造れという、このねじれ、反抗のせいで、どれほど時間や税金が無駄に使われたかを私は言っている。

 それもこれも、日本にはそういう贅沢をするだけのカネがあるとみんなが勝手に思っているから生じる。


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2010-10-11(22:00) :
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